ですが、この男性は少なくとも自分で物事を判断できるようになってから、それなりの覚悟を決めて脱走しようとしたのでしょう。
それに比べて右下の写真はわずか5歳の女の子が、その日のゴム樹液を搾るノルマを達成できなかった罰として、片手、片足を切断され、その切断された手足をじっと見つめている父親の姿なのです。自分の娘が一生不自由な身体にされてしまうことを防ぐこともできなかった悔しさは想像を絶します。
ヨーロッパ諸国によるアジア・アフリカ・南北アメリカ大陸・オセアニアへの侵略は、こうした残虐行為の集積以外の何ものでもありません。自分たちだってチャンスさえあれば同じことをやってみせるとか、もっと大きなことができるとか考えること自体がおぞましいと思います。
そしてこうした残虐行為を平然とやってのけた国々にはある共通点があります。自分たち以外の人種をすべて自分たちより下等な動物と見て動物園で展示していたという事実です。
アメリカにも、ニューヨーク市にいちばん近い観光地、コニーアイランドに常設の人間動物園がありました。そしてほんとうに残念なことに欧米列強に伍して植民地拡大政策を取ろうとしていた日本にも、日露戦争直前の1903年と第一次世界大戦直前の1913年に、常設ではありませんが万国博の付帯「興行」として人間動物園をおこなった記録が残っています。
次にご覧いただく今回最後の2枚組写真は、ともにヨーロッパの人間動物園で撮影されたものです。
右の写真は典型的な20世紀初頭の人間動物園風景です。でもほとんど裸同然で屈託なさそうに水遊びをしている黒人少年たちは、もう自分たちが見世物にされていることは十分わかる年齢だと思います。
「未開人はそんなこと気にしない」と思いこんでいるヨーロッパ人の傲慢さがよく出ている写真でしょう。
そして左は、第二次世界大戦が終わってから13年も経っている1958年に、わずか2年後にはコンゴ植民地の独立を認めざるを得なくなるベルギー政府が開催したブリュッセル万博の付帯動物園でコンゴ人の女の子を展示し、集まった観衆が動物にエサでもやるようにこの子にお菓子か何かを与えているところです。