最後のサイクルの底値近辺だった1850年の約400ドルというのは当時の戸建て住宅1戸分の価格だったと言いますから、そこからさらに800ドルまで上昇した時期には奴隷がいかに高額商品になっていたか、わかります。
そこで、「なぜ奴隷の価格はこんなに高かったのか。これは奴隷が一生かけて働いても、生み出すことができないほどの金額で、奴隷売買については価格メカニズムが働いていなかったのではないか」といった論争が、計量経済史学界でひとしきり話題になりました。
次の2段組グラフでは、奴隷の総合的価値は、その奴隷が労働によって生み出す価値よりはるかに高く評価されていることがわかります。
上段は奴隷の労働力としての価値ですが、1810年の大底で約6万ドルだったものが、1859年の大天井では18万ドル強と3倍を超える伸びとなっています。
下段は相対評価ということですが、1814年の大底で約15万ドルだったものが、1838年の大天井では45万ドル弱と、こちらも天井を打った時期はやや早めでしたがほぼ3倍に上昇しています。
そして、相対評価が労働力としての貢献のほぼ2.5年分にあたるという関係も安定しています。この相対評価の高さが、価格メカニズムが働かなかったためのミスプライシングではないかというわけです。
しかし、この論争は奴隷労働と賃労働との重要な違いを見落とした的外れな論争だったと思います。賃労働では時間決めで買った労働力を投入して得られる成果物だけが買い取った労働力の価値ということになります。
ところが、奴隷を買う場合には全人格を丸ごと無期限で買い取ってしまうわけです。そして奴隷が生んだ子どもは、生まれた瞬間から奴隷主の所有物になるのです。耐用年限が来ても新しい機械を買う必要がなく、新しい機械を自分で生み育ててくれる機械というこの特徴が、労働力としての貢献度よりはるかに高い相対評価をもたらした最大の理由でしょう。