「一生懸命働くことにほとんどインセンティブが働かない奴隷労働は、生産効率で自由労働者の賃労働に負けるから自然に衰退していく」というアダム・スミスの予言にほんの少しでも魅力を感じた人間にとって、奴隷の資産価値がこんなに高く評価されていたのはかなり残酷な反証と言うべきでしょう。

奴隷主にとって奴隷はおそろしく効率のいい動産だったのです。なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

おそらく練り上げられた計画にもとづいてではなく、そのつど情勢に対応しているうちに自然に形成された社会体制だったと思いますが、まだ大英帝国と名乗ってさえいなかったイギリス連合王国は、アメリカ十三植民地で世界初の全面監視社会を実現してしまったのです。

最大のヒントは、ほぼ疫病蔓延だけで先住民がほとんど死に絶えてしまったカリブ海島嶼植民地で、本国では始末に負えない荒くれ男たちを年季奉公で働かせるより、アフリカ大陸から買ってきた黒人奴隷を使役したほうが生産効率は高いという発見があったことでしょう。

本来縛り首になるはずだった重罪人がカリブ海の島送りになって、5年とか10年とか年季奉公を務めあげれば、自由人になれるという境遇だったとしましょう。もちろんまじめに年季を終えるまで働いた人間もいたでしょうが、隙を見て脱走して自由人の中に紛れこんでしまえば、逃げ延びられる確率はかなり高かったでしょう。

それに比べて黒人奴隷の場合、どこに逃げてもどの農園主の所有物かわからなくても、とにかくだれかの奴隷であることは肌の色だけでわかってしまうのです。脱走して逃げおおせる確率ははるかに低かったでしょう。

つまり奴隷身分の可視化によって、社会全体として奴隷がさぼっていないか、脱走していないかを監視するコストが大幅に下がったのです。

この奴隷主身分、奴隷身分の可視化は、次のような一見牧歌的でのんびりした農園風景にもはっきりと表れています。