漂流するのは、その船のエンジンが故障したか、操舵が不能になったかである。前者ならエンジンを修理するのだが、問題は後者の場合だ。

資本主義の船に乗っているのは私達に違いないが、私達はこの船の操舵カンを握っていないかもしれないのである。資本主義の船は私達の意図するところとは別に動く。妙なことを言うようだが、経済学はそれだからこそ成立する学問である。もちろん、かのケインズがやってみせたように人為的操作の可能性はあるが、その及ぶ範囲は広くない。金融や財政はその狭い範囲にある。

著者は長年、新聞記者として金融界を対象にして活躍してきた。スイスに駐在しダボス会議も取材したエリートだ。だから、人為的操作性の力を信じているのだろう。人間の意志を強く信じているのである。資本主義は漂流しても、やがて希望の地に到着するという本書のメッセージはそこから語られているのだと思う。このストレートな心情は本書にさわやかな印象を与えている。気持ちが伝わるから読みやすいのだろう。

資本主義は、私的所有という所有形態を基礎に成立している。そして、この基礎上に発展した装置が株式会社である。資本主義はその発展のため大規模な投資を必要とするが、私的所有を前提にしたままそれを実現するのが株式会社・制度である。

漂流した船の多くは株式会社をそのままにしている。インクルーシブとか脱成長論の一部はそれを否定しているが主流ではない。株式会社は、いわば船のエンジンだ。それを停止すれば脱成長は実現されるが、地球上の多くの人が飢える可能性もある。

日本についていえば、エンジンはかなり弱っている。著者は失われた30年が80年に延びるという説を紹介している。日本では脱成長はもはやスローガンではない。それはとっくに実現されてしまっている。しかし、環境問題も、人々の心の問題も、財政危機も解決に向かって進んでいない。株価の上昇は、こういう負の面の裏返しではなかろうか。