企業の立地場所である地域の地公体もステークホルダーだといってもなかなか浸透しない。ダボス会議などの見解が労働者寄りになったのがせいぜいの成果だった。

インクルーシブ

ステークホルダー論が原理的根拠の欠如のため浸透力を欠いたように、次に出てきたインクルーシブ資本主義もさほどの説得力を示していない(これは評者の見解)。

著者は、これに、北欧の資本主義とともにシンパシーを感じ期待を寄せているようだ。“株主のために”を弱めて貧しい人を意識して経営する。そういう配慮ができるような組織をつくる。あのグラミン銀行のように。

しかし、資本主義にそういうことが普遍的に可能なのだろうか。それなら“社会主義”では、という批判がなされるのは当然だろう。

ブータンは幸せな国だという。しかし資本主義国は決してブータンを目標とはしない。

幸福を語る王様の言説は拝聴しておこう。しかし、幸福もウェルビーイングも“客観”ではないから科学の対象にならない。

不都合な真実

これは環境問題を扱って自ら主演したアル・ゴアの映画のタイトルだ。漂流しつつも、よりよい方向に人類の船を導きたいのだが、行く先々に容易には克服できない現実がある。

ひとつには低成長。この典型は日本だ。セルジュ・ラトゥーシュをはじめとして脱成長論者は多いが(私の著書『The NEXT』の14章参照)、それは先進国の勝手な言い分けだと途上国の人々は考えている。今回のCOPでも途上国が先進国に露骨に資金を要求する背後には、それがある。

低成長からの脱出が問題なのだ。その手っ取り早い方法は国家に頼ることだ。中国のこれまでのやり方、ここまでの成功を見て途上国の多くは“国家資本主義”に賛同している。

ゴアが注目した不都合の筆頭は環境問題だが、他にもあった。短期的な発想はダメといいながら長期的な経営姿勢は一般的にならない。取締役になったら、だれしも1期目でクビになりたくない、と思うからだ。ローマ教皇が倫理を説いてくれるのは有難いことだが、企業の悪行は少しも減らない。日本だけみても、ビッグモーター(薬剤で店の前の並木を枯らした)、小林製薬など例をあげればきりがない。

グリーン資本主義