三本目の矢は構造改革ということだったが正体がはっきりせず、一本目(金融)、二本目(財政)に比べると特筆すべきものもなかった。唯一、目立ったのはアメリカを見習って民の力を引き出す方向で、そのための道具が規制緩和というメスだったが、大手術は成功したとはいえず、残った結果は「企業にやさしく、家計に厳しく」(同書、P.84)だった。
ついでに言えば、働く者にはさらに厳しかった。著者が主張するようにパイオニア・ショックを契機に日本の終身雇用は崩れていった。労働組合は抵抗力を失い、組織率は低下の一途となる。
久しぶりに野党が目立った“仕分け”はテレビのショーとしては面白かったが、行き当たりバッタリの闇雲で、資本主義の新しい像には辿り着かなかった。
アメリカ第3章はお手本のアメリカを扱っている。アングロサクソン型(実はアメリカ型)は株主資本主義に変身していた。それに合わせて、主要な資本主義国では民営化が進行していた。つまり、政府の主要な機関・事業が株式会社に転換した。
株主こそが所有者。働く人々は、その持ち物、一種の道具と見なされ、“人材”という一見もっともらしい呼称が当然視された。
株主資本主義は株式市場からの距離に応じて富を分配したから、所有と非所有の間に大きな所得差を生み、アメリカの貧富の格差は拡大した。格差は先進国と途上国の間でも開いたから、途上国の働く人々は世界の最底辺に置かれた。先進国の大都会で売られる一杯のコーヒー代金のたった1%しか農園労働者の賃金にならなかった。
新しいタイプこれでは長くはもたない、ということで新しい船が模索される(第4章)。
最初に登場したのがステークホルダー資本主義。“株主だけじゃーない”というのだが、これには反発も多かった。というのは、株主制度が法制化を伴って主要各国に定着したとき、株式は所有権、すなわち株主は所有者ということが、それぞれの社会で原則として合意されていたからだ。ドイツのような国では労働者に一定の経営ポジションを与えたが、本家のアメリカではそうはいかなかった。