『沈黙の春』、そしてローマクラブの『成長の限界』から始まるグリーン資本主義の主張にも著者は注目している。

成長か環境かの選択でなく両立をめざす企業が理想だが、他社との競争関係のなかで、当面の利益にならない“グリーン”に傾斜できるかどうか。

自社だけそれをやることを株主が容認すると考えるのは甘いだろう。

AI

この分野はアメリカの一人勝ちだ。しかし、この産業の引き起こす問題は多方面で生じている。AIが人間精神に及ぼす部分はここでは置いておこう。AI産業が使う、膨大な電力、熱を冷却する水、そんな問題が評者の地元、北海道でも現実になっている。

「新しい資本主義」は前首相の看板だったが、まさしく看板倒れであった。主張された貯蓄から投資は「骨太方針」でも目玉政策だったが、実施されたNISAで集められた資金の多くはアメリカに向かった(これは、いまのところ投資としては大成功。日本に投資して8月5日の暴落と巡り合うよりずっとよい!)。

小さな国へ

著者は不都合な真実を・5章、紹介しすぎたためか“衰退を認め、小国の道へ”と弱気を見せつつも、最後は力強く次の言葉で本書を締めくくっている。

資本主義は株主や経営者のほうだけを向くのでなく、もっと労働者のほうを向いた民主的な姿が望ましい。その実現のためには、私たちの意識が資本主義の発展を支えるカギを握っていることを自覚する必要がある。

(同書、P.267)

質問

著者にひとつ質問がある。

漂流は進化を伴っているのか? つまりAタイプからBタイプに移行するときなんらかの進化があるのか。それともただ漂流するだけなのか。それなら体力を消耗するだけだが、前者なら人為選択を重ねて理想型に近づけるかもしれないという希望がある。これは大きな論点だと思う

経済学者、特に私が関心を持つ人々は後者が多い。ドイツの社会経済学者W.シュトレークは、この漂流を“時間稼ぎ”(Gekauft Zeit)と呼んでいるし、アメリカの経済学者D.ハーヴェイは“終焉”に向かう漂流だとしている。

感想