児童の算数力の、著しい低下を招いてしまった。

その後、日本が独立を回復すると、アメリカ占領下では戦犯扱いだった戦前の算数教科書チームが息を吹き返し、文部省とも歩調を合わせていった。

だが一方で、戦前算数の復古について、アメリカ算数と等しく批判する派が台頭していた。

タイルを黒板に並べて計算していく、そういう算数を習った向きも少なくないだろう。あの教え方は、この新派によるものだ。

数を重視する戦前復古派と、むしろ量を重んじる戦後新派…

奇しくもクロネッカーとカントールの論争と、相似形となった。

文部省と日教組の対立構図とも、次第に重なってしまった。

「算数論争は教室の外でどうぞ」

さらにはニュー・マス騒動の後遺症にくわえ、日本の国際競争力の変動と、その対応策として、算数教育(というか算数カリキュラム)の大幅変更が、国の主導で繰り返される。

そうした教室外での暴風雨に、現場の教師たちがついていけなくなった。

教室の窓を閉め切って、算数の基本マナー作りに傾いていった。「これが社会人の、正しい名刺の渡し方です」の小学生版として…

これが掛け算の順序、いわゆる「超算数」とも揶揄される、小学校算数マナーの誕生と定着の経緯である――異論もあるだろうが、そう的外れでもないと、自分は考える。

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日本の算数

ところで「2001年宇宙の旅」には、サルがヒトへの道を歩みだすとき、そしてヒトがそれ以上の存在に気づくとき、大きな黒い石板(モノリス)が現れ、行く手に立ちはだかる。

ものいわぬ導師として、ヒトをサルから導きあげ、さらにその先に招いていく。

少なからぬ犠牲者も出しながら。

実は日本の算数教育についても、あのモノリスのまがい物が働いている。

それも悪用されて、だ。

(つづく)