その反省から、1977年、学習指導要領の改訂で、ニュー・マスへの決別が宣言された。代わって「ゆとり教育」が訴えられた。「ゆとり」というと平成のイメージだが、実際はこの昭和52年生まれである。
事の顛末については、算数教科書の老舗出版社の、公式サイトより引用しておく。
戦前昭和と戦後昭和のさんすう世界的な規模で展開された現代化運動でしたが、学校現場では、集合などの新しい内容や過多な学習内容に対するとまどいも少なくありませんでした。しだいに、マスコミからも「落ちこぼれ」などのことばで現代化批判がなされ、またアメリカでは「Back to the Basics(基礎・基本に帰れ)」運動が広がりを見せるようになります。
こうした流れのなかで昭和52年に改訂された学習指導要領では、「ゆとりと充実」がキーワードとしてかかげられ、基礎的な知識・技能を重視し、基本的な概念の理解を目指すため、学習内容が精選されました。
ここで掛け算の順序論争に話が戻る。
私は当初、ニュー・マス導入とその破棄の混乱の落とし子として、こうした掛け算順序論争が生じたのだろうと想像していたのだが、日本の算数教育を(各時代の算数教科書にも目を通しながら)探っていくにつれて、根はもっと深いことに気づいていった。
これはむしろ戦前昭和の算数と、戦後昭和の算数の、権力争いの落とし子らしい、と。
この両者の違いは、簡単に言うと「前者は暗算重視/後者は筆算重視」にある… ときれいにまとめてしまいたくなるのをぐっとこらえて、両者には、ある共通点があることを指摘しておこう。
アメリカ算数への強い反発心だ。
ご承知のように、今の小1、小2には「せいかつか」があって、小3より理科と社会に分岐するのだが、日本の敗戦後、アメリカから持ち込まれたのが、理科、社会それに算数を一体化させたような小学校カリキュラムであった。
当時のアメリカ教育学の最新理論を、日本で実践するという、理想の光に満ちた試みであったが…