ちなみに、この兄弟喧嘩で、忠通は関白だったが、頼長は藤原家氏長者としてのシンボルである三点セットを父の忠実から譲られて対抗した。
つまり、東三条殿(道長の父である兼家の本宅。摂関家の本宅と認識されていた)や宝物の朱器台盤(冬嗣から伝来の宴会用食器セット)、そして、御堂関白記など伝来の日記原本である。
日記がどうして?と思われるだろうが、当時は宮廷の仕事を伝承するために日記は書かれたので、これらの日記、なかんずく、道長の「御堂関白日記」を持つことが惣領のシンボルだったのだ。そして、それは現代では近衛家に伝来されて京都の陽明文庫に所在する。
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