その中で飛び込んできた不倫のスクープをマスコミが利用しないはずがありません。

彼らはすぐさま猛烈にキュリー夫人を誹謗中傷し、新聞では彼女を「人様の家庭を壊すユダヤ女(Jewish homewrecker)」とレッテル貼りをします。

しかし事情をわかっている人にはこれが不当な批判であることは明らかでした。

ランジュバンの家庭はもともと壊れた状態にありましたし、そもそもキュリー夫人はユダヤ人ですらないのです。

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1911年当時のキュリー夫人/ Credit: ja.wikipedia

さらにこの時期は、キュリー夫人がフランスの科学アカデミーの会員選挙に落選したばかりでした。

科学アカデミーとはフランス国内の科学研究を発展させるため、1666年に創設された歴史ある学術団体です。

1911年当時は会員に一つ空席が出ており、関係者の多くはキュリー夫人の優秀さや功績から、彼女を会員候補に推していました。

しかし保守的な会員たちは、キュリー夫人が「女性」であることと「外国人」であることを理由にこれを却下したのです。

まさにこの時期のキュリー夫人は一般社会から徹底的に叩かれ、アカデミックの世界からも差別される人生で過酷な時期にありました。

その中でキュリー夫人の味方についたのが、かの有名なアインシュタインだったのです。

アンチを痛烈に批判したアインシュタインの過激な手紙

この激動の中、キュリー夫人はベルギーのブリュッセルで開催されたある会議に呼ばれます。

それが1911年のソルべー会議です。

これは優秀な物理学者たちが一堂に会した科学会議であり、第一回のお題は「放射理論と量子」についてでした。

そのメンツはまさに”物理学界の銀河系軍団”と呼べるほど豪華なものです。

キュリー夫人の他、

・1902年にノーベル物理学賞を受賞し、ローレンツ変換などでお馴染みのオランダの物理学者ヘンドリック・ローレンツ

・ポアンカレ予想で有名なフランスの数学者で理論物理学者アンリ・ポワンカレ