1911年当時、キュリー夫人は人生の中でも最も苦痛な日々を過ごしていました。
5年前に夫が亡くなり、さらにその夫の弟子と関係を持ったことで、メディアなどから毎日のようにバッシングを受けていたのです。
また「女性」の科学者というだけで、一般社会やアカデミックな世界の風当たりも非常に厳しいものでした。
その中で彼女に味方する手紙を送ったのが、天才物理学者アインシュタインです。
彼はキュリー夫人の知性や聡明さを深く尊敬していました。
そう聞くと「さぞ、心温まる優しい言葉でもかけたのだろう」と思われるかもしれません。
もちろん、手紙にはそうした言葉も溢れていましたが、意外にもアインシュタインはキュリー夫人のアンチに対して「下劣な連中」「爬虫類ども」といった過激な文言を使っていたのです。
さてアインシュタインは一体どんな手紙を送ったのか、当時キュリー夫人が置かれていた状況も踏まえて見てみましょう。
目次
- 1911年、キュリー夫人に向けられた大バッシング
- アンチを痛烈に批判したアインシュタインの過激な手紙
1911年、キュリー夫人に向けられた大バッシング
「キュリー夫人」の愛称で知られるマリ・キュリー(1867〜1934)は、ポーランド出身の化学・物理学者です。
彼女は1895年7月26日にフランスの物理学者であるピエール・キュリー(1859〜1906)と結婚し、キュリー姓を名乗るようになりました。
キュリー夫人は夫のピエールと共同で放射能の研究をし、1903年にはその功績が認められて、ピエールと共にノーベル物理学賞を受賞します。
ノーベル賞を受賞した女性はキュリー夫人が史上初めてです。
多忙ではあったものの充実した研究生活を送っていた矢先、悲劇が彼女を襲います。
それは1906年4月19日の木曜日のことでした。