ー翌2020シーズンには国内の強豪であり、現所属先でもあるタンピネス・ローバースに移籍されました。移籍の決め手は何だったのでしょうか?
仲村:まず当時のアルビSがU-23のチームだったので、他からオファーをもらえないと、最年長の僕はサッカー人生が終わるという瀬戸際でした。アルビSでは給料面のこともあり、オーバーエイジという選択肢もなかったので、タイでもインドネシアでもベトナムでも、オファーをもらわないと積むという状況。その中で、今のクラブと他に2つのクラブからオファーを受けました。他の2クラブの方が待遇面は良かったんですが、どこだったらACLに出場できるかというのを考えて、最終的にタンピネスを選びました。
ーやはり東南アジアでプレーする日本人選手にとって、ACL出場というのは特別なモチベーションになりますか?
仲村:モチベーションでしかないですね。日本でも4チームしか出られない大会に、シンガポールは全10チーム中1チームが出場できるんです。日本ではJ1選手だって、ACLに出場できずに終わる選手がほとんどなのに、これは奇跡的とも言える環境。日本で結果が残せなかった選手が、ACLの舞台で見返すではないですけど、ずっと応援してくれた人たちにプレーする姿を見せて感謝の気持ちを返すチャンスにもなります。
初のACLではガンバ大阪と同じグループで、初戦は僕たちも結構やれたのですが、チャンスを決めきれずに0-2で負けて、再戦した2戦目は1-8でボコボコにされました。でも、その時の経験があったから、シンガポールに戻った後も基準を間違えないで済むようになった気がしていて「今僕は抜けてシュートが打てたけど、あの時のガンバ相手だったら打てなかったな」などと考えるようになりました。
ー外国人助っ人としてプレーする中で、シンガポール帰化を決意したのはいつ頃ですか?