仲村京雅 写真:Ayumi Nagami

東南アジア最強国を決めるASEAN三菱電機カップ2024が12月8日に開幕する。かつてはタイガーカップやスズキカップの名で開催され、前回大会から三菱電機が冠スポンサーに就任。サッカー熱が高い東南アジアにおいては、各国がプライドをかけて激突する重要な大会で、元タイ代表MFチャナティップ・ソングラシン(元北海道コンサドーレ札幌、元川崎フロンターレ)や元ベトナム代表FWレ・コン・ビン(元北海道コンサドーレ札幌)など、過去の優勝国からは多くのスターが誕生して、東南アジアサッカーの歴史を彩ってきた。

そんな東南アジアが熱狂する今大会には、国籍を変えて第2の故郷で代表選手となることを選んだ日系帰化選手たちが出場する。ここでは、かつて日の丸を背負い、U-17日本代表としてU-17W杯に出場し、現在はシンガポール代表として戦うMF仲村京雅(28歳)にインタビューを行い、帰化を決意するまでの経緯やシンガポールサッカーの現状、そして代表戦への想いを聞いた。


ジェフユナイテッド千葉 写真:Getty Images

シンガポールでプレーするに至った経緯

ー仲村選手はジェフユナイテッド市原・千葉の下部組織(U-18)を経て、2015年にトップチームに昇格していますが、そこからシンガポールでプレーするに至った経緯について教えていただけますか?

仲村:ジェフとは3年契約だったのですが、1試合も出場できずにY.S.C.C.横浜やFC琉球にローン移籍を繰り返し、結局ジェフでは契約満了になってしまいました。それから、Y.S横浜に完全移籍して1年プレーした後、シンガポールに移籍しました。Y.S横浜では最初のシーズンこそ試合に出られましたが、2年目に監督が代わって出場機会が激減。その頃、22、23歳で、ちょうど大卒選手たちが入ってくるタイミングだったので、自分も何か環境を変えないとサッカー選手のキャリアが終わってしまうと感じていて、そんなときにアルビレックス新潟シンガポール(以下アルビS)からオファーがあり、即決しました。