事態は複雑な様相を示しているが、これを解き明かす一つのカギは何と「値段」だと言うことだ。つまり、イベルメクチンは非常に安価であるのに対し、コロナワクチンは比較的高価である。企業にとってどちらに「うま味」があるかは、言うまでもない。

一見複雑に見える現象が、一本の「補助線」を引くことでスッキリと見えてくることはよくある。各種の利権組織=「ムラ」の強固な結合形態も、大抵は「お金の流れ」を見ると良く理解できる。なお、この章の引用文献は123〜281の159件にのぼり、各節平均16件近い豊富な情報量である。

ウクライナ・コロナ・福島を繋ぐメディア構造

本書第3章は「ウクライナ危機、コロナ渦・ワクチン危機、福島第一原発事故の比較」と題され、全4節ある。

最初に「メディアの危機、民主主義への悪影響、情報戦という共通点」が議論されている。これらは、上記2章の内容を踏まえるなら当然語られるべき事柄である。次いで、1970年代と2020年代の二つのワクチン禍の比較、福島第一原発事故とコロナワクチン禍の比較と言う興味深い考察がなされている。

そして「思想としてのコロナワクチン禍試論:カント、ハイデッガー、イリイチに学んで」と題されたユニークな内容の節が置かれている。これは、哲学を専攻する本書の著者ならではの考察というべきだろう。

これらの哲学者・思想家は一般人とは縁遠い存在に思われるが、意外にそうでもないことは、本節を読めば分かる。特に、18世紀のカントの思想が全然古くならず、現代においても、と言うより現代においてこそ、強く輝いて見えるのは、とても印象的だ。私はこの部分を読んで、柄谷行人がカントを再評価していることを想い出し、共通点を感じた。普遍的に通用する考えは、時代や地域を越えて受け継がれて行くとの感を深くする。

さらに「事実認識の段階で批判的問題意識を持つ必要性」が論じられている点を、私は高く評価したい。情報が入ってきた時点で、それを鵜呑みしない・無条件には信用しないことの大切さは、現代においては顕著になっている。ありとあらゆるフェイクニュースがあり、また「これはフェイクだ」とのレッテル貼りも頻繁に横行するこの世界では。

巨大プラットフォーマーと情報操作の現実