原岡:対談は、どうしたらいいんだろうという相談っていうか、「困ったこまった」な話なんですよね。そのために呼ばれて、ちょっと高そうなパンをもらった。
加藤:そうそう、このパンはちょっと高い。だいたい最近はハラオカという人が居たのを知らない人も多いんです。なのに原岡さんの説明すらしていない。
原岡:甲状腺がん検査の過剰診断問題は、処理水のときのようには世の中に響かないと思っていて、これはわかりにくさだけでなく、さっき出てきた政治との距離もあるし、当事者が表舞台に立てなかったり、検査のおかしさを訴える側ではなく検査に巻き取られる側になっている違いが大きいと感じます。
加藤:そういう若い人や親御さんを引っ張り出してくるというのも違う。プライバシーの問題もある。原岡さんは自分はもう当事者ではないと言うし、福島県の人たちも親と子の世代で切り取られているから全員が当事者というわけでもないし、私なんかは外野なのを自覚していますよ。ただですね、言うことは言っておかないといけないんです。福島県の甲状腺がん検査は、若い人たちのための検査なんてものではなくて、欲まみれで力関係と事なかれ主義にどっぷりつかった大人がやっていることだというのをね。
原岡:甲状腺がんや過剰診断の説明はあきらめちゃう?
加藤:説明はしましょう。説明できる人を増やしましょう。だけど批判されるのをわかった上で言いますが、誰が、なぜ、こんなものをやっているのか端的に追及しなかったら、世の中は動きません。個人や特定の集団がやっていると、はっきり見えないから世の中の動きにつながらない。世の中の勢いを背中に受けなかったら、検査は止められません。なぜなら検査を止められたら困る大人がいっぱいいて、その世界では偉い人も中にいて、この人たちは自分たちが作り上げた構造とお金の出入りだけでなくメンツも守ろうと必死なのだから、生半可なことでは戦えません。