なお、縄文後期の寒冷期に人口が大幅に減少したことが知られている縄文人の生活にとって、最大のリスクは食物の調達が困難な冬の飢餓であったと推察されます。
万物に魂が宿るとする精霊信仰(アニミズム)の世界観をもっていたとされる縄文人は、大地に光と暖かさと恵みを与えてくれる太陽、特に立秋の「最もパワフルな太陽」に対して、最上級の畏敬の念をもっていた可能性が高いと考えられます。彼らがその神聖な太陽を遥拝する機能を有する環状列石という集団霊場(墓地)を築いて祭祀を行っていたことは想像に難くありません。
一方、現在の鹿角市における1月および2月の気温の平年値(気象庁)および最大積雪深の推移を図8に示します。
図8には、立春に加えて、4点通過直線の延長上の山地形から太陽が昇る日を「日昇観測日」として示しています。この図を見ると、立春の2月4日は、年最低気温からの上昇が概ね始まる日です。また、日昇観測日の2月12日は、当該地域の積雪深が概ね最大値に到達する日です。
縄文人は、火を使ってしのげる寒さよりも、行動を制限される積雪を恐れていた可能性があり、その意味で、積雪深が最大となる日を把握できる4点通過直線は冬季にも実用性があったものと考えられます(図9)。
以上、世界文化遺産である大湯環状列石の中心線(4点通過直線)が指し示す方位は、定説の「夏至の日没方位」ではなく「立秋の日没方位」であることを示した上で、縄文人がなぜその方位に着目したのかについて考察を行いました。
いつかは真実が判明することなので、学術界は俗説である現在の定説を可能な限り早期に否定するのが妥当です。また、夏至に日没を観察するイベントも立秋に行なうよう変更した方が参加者の利益になると考えます。
そもそも、大湯環状列石が、把握が容易ではない「立秋の日没方位」を正確に指し示しているという事実は、把握が容易な「夏至の日没方位」を指し示しているという俗説よりも数段価値が高いと言えます。