別記事「古代出雲と太陽信仰(後編)」で詳しく示しましたが、古代出雲や纏向(大和)では、主要な宗教インフラが立春・立秋の日没・日出方位に配列しています。このことから、古代の人々がこれらの季節を特別に意識していた可能性が伺えます。そしてその理由として考えられるのが、日本において、立秋が年間で最も暑い季節であり、立春が年間で最も寒い季節であるということです。

このことは、大湯環状列石が位置する秋田県鹿角市の場合も例外ではありません。現在の鹿角市における7月および8月の気温の平年値(気象庁)の推移を図5に示します。

図5 秋田県鹿角市の気温と大湯環状列石が示す季節情報の関係(夏季)

図には、立秋に加えて、4点通過直線の延長上の山地形に太陽が沈む日を「日沈観測日」として示しています。この図を見ると、日沈観測日の8月2日は、当該地域が年最高気温に概ね到達する日であり、立秋の8月7日は、気温の低下が概ね始まる日です。つまり、大湯環状列石によって太陽の運行を観察することで、当該地域が最も暑くなる季節を把握することができるのです。

当該地点から観察される太陽の挙動を図6に示すとともに、この図の地形が実際の地形を反映していることを示す写真を図7に示します。

図6 大湯環状列石から観測される夕方の太陽の運行(夏季)

図7 大湯環状列石と遠方の山地形(縄文遺跡群世界遺産本部の公式ウェブから引用)

地球温暖化の影響があるため、大湯環状列石が形成された頃の縄文時代と現在では、気温の絶対値は異なります。しかしながら、気温の大局的変動は、太陽の運行と地域の比熱に支配されるので、縄文時代においても現在と同様の季節変動を示していたものと推察されます。

ちなみに、大湯環状列石では、夏至の日没を観測するイベントが毎年開催されているとのことですが、残念ながらその日には4点通過直線の方位に太陽は沈まないはずです。この現象を現地で観察できるのは、夏至から約1カ月半過ぎた立秋の約5日前であり、縄文人はそのことを知っていたはずです。