より丁寧に言えば、日本は、経済(国際競争力や一人当たりGDP)も社会(少子高齢化等)もずっと停滞してしまっている中で、果たしてそんな悠長なことを言っていられるのであろうか、権力集中による大胆な改革が必要なのではなかろうか、という点だ。

それは、人間としては、独善的に物事を動かそうとする人よりも、他人の話をしっかり聞いてくれる人の方が良いに決まっている。みんなで和気藹々と楽しくやる方が、苛烈な決断を伴ってグループを運営するより楽しい。

何十万万円から何千万円まで幅のある「未記載」問題(いわゆる裏金問題)だが、国民的に怒りを煽り、それまでの「支配者たち」を、ニーチェのルサンチマンよろしく大衆が正義を振りかざして引きずり下ろして留飲をさげる。そんな選挙・政治で果たして日本はもつのだろうか。

もちろん、裏金は良くない。ただ、世界を見渡せば、桁がいくつも違う蓄財をしつつ、果断な決断をする指導者たちが、日々難しい決断や大きな決断をしつつ国や社会を動かしている。日本の未記載問題など、彼らの蓄財の比ではない。そして繰り返しになるが、わが国は、本来、権力集中をして大きく改革をしていかなければならない時期がとっくに来ている。

日本は、混迷の世界政治の中で、仲介をつかさどる国家としての存在感を増すべきだし、各地に産業を起こして各地域が稼げる体制にしていかなければならないし、本来は税や財源も大きく地域に移転する必要がある。

選挙中、ネットフリックスが日本やアジアを中心に売り上げを大きく伸ばしたニュースがあったが、世界のプラットフォーマーたちが大きく躍進して、最近はデジタル赤字が無視できない規模になってきているが、大量の国富が流出してしまう中で、日本発の新しい産業も、次代を見据えたベンチャー企業たちの中などから育てて行かねばならない。

どこかの組織、誰かの個人が権力を持つたびに、そして何か大胆な改革を進めようとするたびに、そうした主体や動きへの反発から猛烈な反対運動を起こし、それがまだ政策論であればいいわけだが、今回の裏金問題のようなスキャンダル暴きの様相を呈しての引きずり下ろし運動になると(その方が一般的な国民には分かりやすいので、往々にしてそういう形になる)、これはもう手に負えない。日本では、永遠に本格的改革が進まないことになる。