最後に、れいわ新鮮組・日本保守党・参政党の躍進についてであるが、これは、全て比例代表制の効果であり、まさに制度的な狙い(少数政党の維持・存在感の発露)が体現されたとも言える。

そうした効果が発揮された背景にあるのが、間違いなく「エッジの立った代表」の存在であり、具体邸には、山本太郎氏、百田尚樹氏(河村たかし氏)、神谷宗幣氏といった代表たちの「顔」を全面に出して選挙戦を戦ったことが大きい。

国民民主党の躍進にも言えることだが(玉木氏が前面に)、ベンチャー政党は、代表の顔が鍵になることが改めて分かった。

民主主義と権力集中

以上、今回の衆院選について多少細かく個別の躍進や衰退の事情について考察してきたが、総じて、自民党のいわゆる裏金問題が大きく作用していたことは間違いない。ただ、個人的には、これを裏金問題という形で矮小化してしまうと、事を見誤ると思う。裏金問題の本質とは、即ち、旧安倍派の数を背景とした傲慢さ・驕りに対する反発であると考える。

過度の権力集中を嫌い、権力分散型の民主主義を好む方々から見ると、安倍長期政権というものは、乱暴に言えばファシズム的な方向への危機をはらむものであり、とても許しがたいものであった。財政規律を考えず、危険な安保法制を実現するという政策的なスタンスはもちろんだが、それ以上(それ以前)に、権力集中的あり方に嫌悪を覚えていた人が多いように思う。終身独裁官などになったカエサルが殺された頃、すなわち共和政ローマの末期に似ていると見るのは乱暴だろうか。

自民党内では、安倍長期政権的あり方に対しては、主に宏池会(旧岸田派)が疑念を持っていたし、自民党を越えて全体としてみると、左派系の野党議員たちはもちろん、それこそ多くのメディアや識者が反発心を抱いていた。

しかし、私が懸念するのは、安倍長期政権・安倍派支配に対する反発、すなわち権力を集中して改革をしようとするスタンスに対する嫌悪感で政治が動いてしまって良いのだろうか、という点だ。