それがどうして、冷戦時代以上に硬直した構図になってしまったのか――これは西尾さんの三島由紀夫論のタイトルですが、むしろ人間の身体には言語と相反する「不自由への情熱」が埋め込まれているのではないか。そんなふうに考えないと、有効な処方箋は描けないように思っています。
現代ビジネス、2018年6月16日 (強調は今回付与)
当時はもちろん、今日のようなウクライナ戦争は起きてない。しかし、なぜ(ぼくたち的には)ずっと快適なはずのEUではなく、ロシアを選ぶ国や人びとが、現にいるのだろうか? そうした問いを一瞬も考えずに「うおおおお応援一択! 負けても正義が残る!」みたいにお気楽~な論調を、1945年の敗戦を抱え続けた西尾さんはどう見ていたのかな、と少し気になる。
今年の3月、「デジタル帝国が変えた世界」という特集への寄稿を頼まれて登壇した際にも、6年ぶりに、西尾さんの同書の名前を出した。
同氏は、冷戦下の西側先進国だけでなく、じつは東側世界にも「情報化社会」はあったのだとする、興味深い問題提起をしています。