2018年に、『知性は死なない』でうつから復帰したときの取材で、ぼくは同書をこう紹介したことがあった。

うつが激しいときにパンを買いにスーパーに入ったら、猛烈な恐怖感に襲われて買えなくなりかけた。複数の可能性のなかから「選ぶ」のが怖いからです。あらゆる商品について、「他と比べて高いかも、まずいかも、足りないかも、食べきれないかも…」という無限の可能性が頭のなかで爆発する感じがして、「最初からひとつに絞ってくれよ!」と叫びそうになる。

うつの時に食欲がなくなる、寝たきりになるというのも、選択肢を無理やりひとつにしようとする、身体的な欲求の表れではないかという気がします。

(中 略)

同書によると、〔冷戦終焉後に〕東ドイツの人がついに自由を手にして西側のスーパーマーケットに行って、圧倒的な商品の質と量に最初は眩惑されるんだけど、途中から体調を崩して嘔吐してしまうといった挿話が、当時は結構あったそうですね。そして現にいま「自由なEU」に愛想を尽かして、「専制的なロシア」に再接近する国も出てきています。

冷戦構造の崩壊とともに始まった平成という時代、当初はみんなが「これで、もっと自由になれる」と感じたはずだった。質的には、マルクス主義のような「インテリだと思われたいなら、絶対に従わねばならない」公理のくびきから解放され、また量的にも、インターネットの普及によって自分の意見を発信する「プチ言論人」が爆発的に増加した。