このステレオタイプの認識の延長線上に、「『老人』と『障害者』の同一視」(Palmore,1990=1995:178)を読み取ることは容易である。

光源としての高齢者

しかし、受け身どころか積極的な人生の実践者としての高齢者も多い。日本全国のたくさんの高齢者とインタビューしてライフヒストリーを把握する一方で、調査票による大量観察をして一番感じられたのは、自分をロウソクの光源としてみると、この光は近くを最も強く照らし出し、遠くにいくほど弱くなるとのべられる高齢者が多かったことである(金子、2014)。

この場合もっとも身近なものはもちろん家族である。ところが、徐々に家族と同居できない高齢者が増えてきた。身近なロウソクとして輝き続けたくても、受皿としての家族規模が小さいか、家族とともに住んでいなければ、せっかくの光源が生かされない。

近隣が高齢者の支えになる

ただ、このような事情でも、光源は消えずに、家族を超えて近隣や地域社会に届いていることは指摘しておきたい。町内会や小学校区などいわゆる狭い意味でのコミュニティがその光の届く範囲になる。

一人の高齢者にとって、家族と地域社会とは機能的には補い合う関係なのである。一人暮らしの人は一人ぼっちではなく、地域社会の中で支えられている。

ストリングスがストレングスの源

私は都市高齢者の生きがいを社会参加、友人交際、趣味娯楽、家族交流に大別してきた(金子、1993)。調査経験を基にしてどれか一つの「生きがい」要因にこだわっていると、そこから二つ目の「生きがい」要因も見えてくることが多かった。

要するに、「人は体験と人間関係に反応して、引き続き学び、変わり続ける」(Butler,1975=1991:469)のである。ストリングスがストレングスの源であることは複数の都市調査で発見された命題である(金子、2006:80-103)。

図7はエンパワーメント論を応用して、「高齢者の自立志向」の計量的研究から得たモデルである。最大の特徴は、生きがいと相関する「趣味」から別の独立した次元として「得意」を抽出できたところにある。