定年退職した高齢者世代は年金暮らしを余儀なくさせられる。しかし同時に、その人生で蓄積されたノウハウは、実は隠れた価値の高い遊休資産でもあり、この社会的な有効活用の途を開き、「地方創生」事業のような社会貢献活動にも転用できる注8)。

もちろんいざ年金受給者となってみると、社会貢献の意欲はあっても、具体的に何をどうしたらいいのか見当がつかないというのが多くの高齢者の実感である。

かりに社会貢献活動を行うとすれば、長年にわたる仕事の経験と磨きあげてきた能力を活かせるテーマに取り組みたい。農林水産業、商業、教育、観光などを基盤とした「地方創生」事業では、高齢者がもつノウハウは有益なことが多いはずである。しかもそれが本人の「生きがい」につながる可能性をもつとすれば、なおさらのことである。

神谷美恵子の「生きがい」定義

そこで「生きがい」の考察に移るが、経験的にみても「生きがい」にはいろいろな要素が絡み合っているので、おそらく一元的には規定できない。

神谷が指摘するように、「生の内容がゆたかに充実している感じ」(神谷、前掲書:21)が「生きがい」の重要な側面であり、「はっきりと未来にむかう心の姿勢」(同右:25)もまた不可欠であるとだけいって、それ以上の深堀りは止めておこう。

全ての世代が「生きるよろこび」をもつ

本来「生きがい」とは全ての世代に求められる「生きるよろこび」なのであり、したがって職業の有無や健康状態を超えて存在するはずである。

ところが、日本社会では「生きがい」という言葉を特に高齢者に結びつけて使うことに対して、何の違和感もない。むしろこのような問題の立て方そのものに、日本の高齢者福祉行政の特徴があったといってよい。

『老人』と『障害者』の同一視は解消されたか

しかしほとんどの場合、そこでの高齢者は「生きがい」援助の対象であり、周りからの支援を必要とするとして位置づけられてきた。要するに、高齢者は受け身の存在としてのいわゆる高齢者神話が該当するものとして認識識されて久しかった。