この2人が同時期に東京ガスに在籍していたのは1997年から1998年の2年間だが、同じ社屋の同じフロアで働いていたようだ。本稿のテーマである「同級生」とは異なるが、後にそれぞれチームの顔となるスター選手の“下積み時代”の話だ。

当時、同フロアで働いていた同僚の女子社員によると「小林くんは真面目に仕事していたけど、アマラオは女の子にちょっかい出して、仕事のジャマばかりしていた」と笑いながら振り返る。アマラオ氏が“キング”となるはるか前の出来事だが、当時はブラジル代表を目指すバリバリのプロサッカー選手だ。まさか日本企業でオフィスワークに従事するとは思ってもみなかっただろう。

アマラオ氏は引退後、東日本大震災の影響で一度はブラジルに帰国したものの、日本への思いが強く2014年に再来日。以降、J2ザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬)や、関東2部リーグのtonan前橋のコーチを歴任。2022年には、12年間を過ごしたFC東京のアンバサダーに就任し、Jクラブのアンバサダーに外国人が就く初の例となった。

また、Jリーグ非公式試合ながら(公式戦500試合出場を満たしていないため)2008年5月に開催された味の素スタジアムでの引退試合に1万5000人以上のサポーターを集めたことからも、彼がFC東京のレジェンドであることを証明している。

日本での生活も長く“サラリーマン経験”も役立ったことで日本語も流暢に使いこなす。加えて自身が日本生活に馴染めなかった頃にラモス瑠偉氏に世話になったことを受け、現在では来日したブラジル人選手のサポートも買って出るなど、アマラオ氏は日本サッカー界とブラジル人選手の架け橋となっている。