東京ガスサッカー部がFC東京となり、JFLからJ2、そしてJ1へと階段を上っていく過程にあって、チームメイトにプロとしての姿勢を叩き込み、自らも結果を残したことで付いたニックネームは「キング・オブ・トーキョー」。今でもFC東京のゴール裏にはアマラオ氏の顔のイラストが横断幕として張られているため、そのプレーは知らなくとも、顔は知っているという東京サポーターは多いはずだ。

片や、小林雅英氏(1999-2011プロ野球投手)は、山梨県立都留高校では1年からエースだったが甲子園とは縁がなく、高校野球の監督になるべく日本体育大学へ進学。首都大学リーグでは最優秀投手1回、ベストナイン2回を受賞し、3年秋の明治神宮大会や4年春の大学選手権で注目されたが、ドラフト指名されることなく東京ガスに就職する。「2年後に指名されなかったらすっぱりと野球を辞めて、社業に専念しよう」と退路を断っての入社だったという。

そして、1998年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けプロ入りを果たし、2007年までプレー。その間、ボビー・バレンタイン監督の下、2005年に日本一も経験し、自身も球界を代表するセットアッパーとして、2004年アテネ五輪にも出場した。

2008年にはFA権を行使し、MLBのクリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)に移籍。1年目から57試合に登板し4勝5敗6セーブの成績を残したが、2年目には不振のためマイナーに降格、そして7月には解雇され、実質1年半のプレーにとどまった。

その後は、巨人(2010)を経て、オリックス (2011)で現役引退。その後は指導者としてオリックス、ロッテ、日本女子プロ野球リーグで投手コーチを歴任した。2021年からは社会人野球のエイジェック野球部投手総合コーチに就き、同チーム初の都市対抗野球出場に導いたが、この9月に退任が発表された。