そこではソ連と日本の相互不可侵および一方が第三国に軍事攻撃された場合における他方の中立だけでなく、満州国とモンゴル人民共和国それぞれの領土の保全と相互不可侵をソ連と日本のそれぞれが尊重する声明書が取り交わされた。大日本帝国の「北進」政策は、「ハルハ川戦争」をへて、「日ソ中立条約」において、終わりを迎えた。その結果、モンゴルの主権国家としての独立が確証された。

ドイツがソ連侵攻を始めたのは、1941年6月22日、つまり日ソ中立条約の2か月後のことであった。「四国同盟」の構想は破綻し、ソ連はイギリスとの同盟に向かった。しかし「ハルハ川戦争」と「ドイツのソ連侵攻」の間に成立した日ソ不可侵とモンゴル独立尊重の体制は、崩れなかった。

もしドイツが「独ソ不可侵条約」を締結しなかったら、「ハルハ川戦争」は終わらず、モンゴルの独立国としての地位も危うかったかもしれない。しかしそれも、ソ連が「ハルハ川戦争」で日本の「北進」政策を許さず、モンゴルと満州の国境で、日本を止めたからだ。

21世紀の今は、日本よりも中国の存在の方が大きい。1922年のモンゴル人民共和国の成立は、中国軍を追い払ったソ連赤軍によって達成されたものだ。ロシアの存在がなければ、モンゴルの独立は、中国に圧倒されていってしまう。ロシアと中国双方への配慮は、モンゴルにとって必然である。

モンゴルは、ロシアと欧州の間の均衡を保ちながら、マイダン革命以降の欧州傾斜路線で、ロシアとの戦争に陥っていったウクライナの現状も、自分事として見ているだろう。

この種の民族の独立・存続にかかわる事柄は、当該国の国民感情に配慮することが、大切である。特に当事国の末裔である日本人が、関与しにくいのは、致し方ないところもある。

日本はICC加盟国として、アジアのICC加盟国モンゴルに、プーチン大統領の逮捕というICC加盟国としての義務を履行するように働きかける立場にある。正直、それをもう少し目に見える形でやったほうが、外交的には得策だった、という気がしないでもない。ICC加盟国間での日本の信頼感にかかわる。