政党ではなく人物、なのかはともかく、「人物」を抜きにして政治や社会を営むことはどうも無理らしい、というのが、世界の民主主義がたどり着いた結論だった。「この人はいいな」と思える人物のバリエーションが広い社会が、いわゆる自由民主主義で、狭い(最悪ひとり)と選挙独裁になる。
投票箱の前で、名簿に載っている候補者のほかに、どれだけ「こんな政治家に居てほしい」と思える記憶を、社会としてストックできるか。民主主義国における歴史の意味はおそらく、そうしたものに変わっていくだろう。
逆に「『正しい歴史観』に基づきこの党に入れろ」みたいな、前世紀以来の勘違いを続ける歴史学者は、そろそろごみ箱に入れてよいころだ。
投票箱の前で、あなたは自国のどんな過去を思い出すだろうか。そのときなるべく多くの「思い出し方」を認めるのが、リベラルな社会であり、それにふさわしい語りを提供する人だけが、いまも歴史家の名に値すると思う。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。