ぶっちゃけ、共産主義も「政党ではなく人物」なのか? と疑問が兆したところに、選挙は惨敗。国際派は中ソに切り捨てられ、幹部が主流派に屈服し、学生たちは見棄てられる。党活動で作った彼女まで、さっさと自己批判書を出して「転向」し、なぜあなたは出さないのと問い詰めてくる。

ショックで堤は結核を悪化させ、入院と療養の果てに党を離れる。孤独を抱えた彼が最後、故郷の秋田に戻ってこけし作りを始めた峰岸に話を聞いてもらおうと、列車に乗り込んだところで小説は幕を閉じる。

(ちなみに東大細胞で知りあい、生涯を通じて堤の親友になった安東仁兵衛のことは、今年7月の都知事選でも紹介しました)

「蓮舫主義者」の精神形態: 丸山眞男のいない戦後民主主義|Yonaha Jun
終わらせませんというか、終わった後までこうも喧騒が引かない選挙というのも、珍しい。 半月前、7月7日の東京都知事選で3位落選となった蓮舫氏が、あらゆる批判的な論評にTwitterで言い返し続け、それを支持者が「その通りだもっとやれ!」と囃して、収拾がつかなくなっている。彼女による攻撃(本人の観点では反撃)の対象は、...

政党ではなく人物で選ぶことには、相応の危うさがある。個人崇拝に陥ったり、縁故での依頼を断れなかったり、好感度だけで投票するうちに首尾一貫しなくなったり。

ただなんかねぇ、最近は欧米でも実質「トランプ党」「マクロン党」のように政党自体が個人化してますやん? みたいなのを見ると、それはもうヒトの認知機能の限界なのかなという気もするんすよ。もちろん、権威主義国の政党支持は個人への信頼とイコールです、「プーチン党」とか。

「極端主義」の時代: 文学が政治学よりも役に立つとき|Yonaha Jun
前回の記事の補足と、別の出演情報の紹介。先月に続き『創価新報』の10月号で、創価学会青年部長の西方光雄さんと対談しています。今回の(特に前半の)テーマは、いま世界的に見られる「中道政治の衰退」。 穏健な二大政党制の母国イギリスで政権交代したら、過激派が路上で移民排斥を唱えて暴動になり、知性ある民主主義の国フランスで...