なので、1993年に成立した最初の非自民政権の下で、衆議院は(比例代表と並立しつつ)小選挙区制に切り替えることにした。1選挙区から選ばれるのは1人、だから今後は「政党ごと」の勝負で行きましょうというわけだ。

もちろん、「人物より政党」で戦う選挙にするなら、小選挙区制ではなく比例代表制という選択肢もあった。平成のあいだは、どちらかというと僕は、そちらにシンパシーがあったと思う。

たとえば全党のマニフェストを選管が自宅まで送付して、有権者はそれらを読み比べ、いちばん気に入った党を選ぶ。特定の政治家の個人的な人気にぶら下がるポピュリズムじゃなくて、「政策本位」で選挙をするなら、それがいちばん理想の形ではあった(まぁ小党分立になるとか、周知の色んな欠点はあるけどね)。

しかしいまは、それでは結局、人は動かないんじゃと思えてならない。

たとえばSNSでのケンカを見てほしい。Twitterなんて140字なんだから(足立さんのように課金して長文を投稿する人もいるけど)、論争している双方の主張を読んで、「内容本位」で賛否を決めるなんて容易なはずだ。

しかし圧倒的多数のユーザーは、その程度の文字数を読むコストすら払わずに、「前からフォローしてるこの人」「勢いがあって勝ちそうなこの人」の味方につく。学問や教養の有無は関係なくて、現に大学教授とかが率先してそうやっている。

そんな状況で「有権者は全党のマニフェストを熟読、比較して……」なんて、夢のまた夢だろう。

なぜ、学問を修めた「意識の高い人」がネットリンチに加わってしまうのか|Yonaha Jun
8月27日付で、筑波大学は所属する東野篤子教授のTwitter利用に関し、「コンプライアンス違反に該当するような事項は確認することができませんでした」(原文ママ)との回答を、ネットリンチによる被害を訴えていた羽藤由美氏に送付した。
知と理は死んだ 筑波大学の汚点 筑波大学のコンプライアンスは死んでいると言わ...