たとえ正確性に勝っていても、このような名詞をそのまま使い続けることは合理的ではありません。
略すなり頭文字をとるなりして、何らかの代名詞化をしなければ会話も成り立たなくなるでしょう。
また太郎といった比較的簡単な名詞であっても「彼」というより簡単なバージョンに置き換えられれば効率化が進みます。
トルコ語では「彼・彼女」など男女別の代名詞を使用する代わりに「彼・彼女・それ」をまとめて「o」という極めて簡潔な代名詞で表現されます。
さらに会話者の間で十分な共通認識がある場合、名詞や代名詞すら省略して会話効率を高めている言語も存在します。
たとえば日本語やスペイン語などの「ご飯食べた?」という表現がそうです。
人間にとって情報は正確さが全てではなく、情報の簡潔さもまた重要な要素であるようです。
しかし興味深いことに、人間社会が複雑化するにつれて、代名詞は情報の簡潔さとかけ離れた状況でも使われるようになりました。
代名詞は人物を特別に感じさせることもできる
情報の効率化に加えたもう1つの要素。
それは、特別感の演出です。
代名詞を会話や文章の中で「最も目立つ存在」に対して使うことで、その存在が物語で重要であることを示す効果もあるとされています。
たとえば
二郎と三郎と四郎は顔を上げて壇上に立つ一郎を見つめた。そして……ついに彼は語り始めた。
という文章がそうです。
この文では「そして~」以降の後半の文で、あえて一郎と書かず彼と書かれています。
彼と呼んでいい存在は一郎から四郎まで4人いますが、その可能性を押しのけ、あえて一郎のみを「彼」とすることで、言語構造のレベルで特別感を演出することが可能になるからです。
小説などでは、このテクニックは非常に良く使われています。
さらに歴史的にも、社会のリーダーとなる人物は自らの代名詞をより鮮明に「特殊化」することが知られています。
たとえばかつて日本の天皇は自分に対して「朕」という特殊な一人称代名詞を用いてきました。