一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容されない。しかも、再審判決の「5点の衣類」のねつ造を認めた事実認定を控訴審で覆せる可能性は十分にあるとしても、では、「袴田事件冤罪」が、これ程までに国民の共通認識になっている以上、控訴審で最終的に有罪判決が出される可能性があるかと言えば、ほとんどない。
新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。
となると、強盗殺人という被害者・遺族がいる犯罪である以上、「法と証拠」に基づく検察の判断として不控訴の判断はあり得ない。
畝本総長談話の
《控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容である》
というのが、検察としての「法と証拠」に基づく判断という趣旨なのであろう。それを検察として公言するのであれば、検事総長としても、それを貫き、控訴申立を行うしかなかった。
《袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではない》
という、社会的観点から「不控訴判断」をするのであれば、検察の判断とは切り離して行うしかない。
その解決の方法は、法務大臣が、指揮権に基づいて、検事総長に不控訴を指示することしかなかったのである。
誤った畝本総長談話の背景にある検察の「全能感」検事総長談話として公表するものである以上、畝本総長だけの見解ではなく、少なくとも、最高検が組織として判断した内容であろう。なぜ、そのような誤った判断を行ったのか。
そこには、検察の組織において、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されず、あらゆることが検察の権限内で解決可能であるような「全能感」に支配されていることに根本的な問題があるように思われる。