そして、本来、そのような「検察の権限行使の限界」に関して、行政権の行使の主体である内閣との唯一の接点として重要な役割を果たすべきなのが法務大臣だ。しかし、歴代の法務大臣のほとんどは政治家であり、捜査権限を有する検察に対して物を言うことに腰が引けていたため、本来の職責を果たして来なかった。
昔、私が、検事任官数年目の若手検事だった頃、当時国連アジア極東犯罪防止研修所所長だった大先輩の講話を受ける機会があった。その中で「検察も国のシステムの一つであることを忘れてはいけない」という話を聞き、目を見開かせられる思いをした。
検察も行政機関である以上、「国のシステムの一つ」であるのは当然のことなのであるが、検察官の仕事をしているうちに、刑事事件の捜査処理という刑事司法の世界を通して物事を考えるようになり、検察を中心に世の中が動いているという「天動説」のような発想になっていく。
外交上の判断が中心となった尖閣船長釈放問題で、法務大臣の指揮権という話にならなかったのも、今回の畝本総長談話で、「法と証拠に基づく控訴すべきとの判断」と、「社会的観点からの不控訴の判断」を検察が同時に行うかのように公言するという、致命的な誤りを犯してしまったのも、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されていないことが根本原因であるように思える。
「検察も国のシステムの一つである」
そのあまりに当然のことを前提に、「法と証拠による判断」には一定の限界があることを踏まえて、法務大臣の指揮権の在り方を考えてみる必要があるのではなかろうか。