しかし、実際には、この事件についての法相指揮権発動の真相は、そのような単純なものではなく、政治家と検察との間に様々な思惑と駆け引きがあったことが、史料や関係者証言から明らかになっている(『指揮権発動』渡辺文幸著、信山社)。

それ以降、法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際に行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。

しかし、法務大臣の指揮権が問題となるのは、そのような政治と検察の対立場面だけではない。検察の「法と証拠に基づく判断」には限界もある。

世の中の様々な事象に関して発生する刑事事件の中には、検察が「法と証拠に基づいて判断すること」だけでは適切な対応が期待できないものもある。その場合は、検察の判断に委ねるだけではなく、法務大臣の指揮権による対応を検討することが必要となる。ところが、造船疑獄での指揮権発動以降、事実上「封印」されてしまったため、法務大臣の指揮権が検討されるべき場面でも、実際に活用されることはなかった。

外交上の判断と法務大臣の指揮権

法務大臣の指揮権が検討されるべき典型例が、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。

事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察が、外交上の影響をも含めて判断して捜査・処分を決定することは適切ではない。その判断が適切ではなかった場合の責任を検察が負うことはできないからである。

検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣との協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

このような場合には、検察の側で、外交上の判断が必要な事件と判断した段階で法務大臣に報告し、その指揮を仰ぐべきである。捜査・処分に関して外交上の判断が必要な刑事事件というのは、検察が外部の介入・干渉を受けることなく独立して判断すべきという「検察の組織の独立性の枠組み」だけで対応することになじまない事例の典型である。