しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定しているため、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができるとされている。

「検察の権限行使の独立性」を確保することと、法務大臣が、行政権に属する検察権の行使について内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う原則との調和を図っているのである。

法務大臣が個々の事件について個々の検察官を直接指揮することができるとすると、検事総長、検事長からの指揮を受けている場合、どちらに従うべきかについて混乱を来すことになる。

そこで、法務大臣の指揮は、個々の検察官に対する指揮監督を通じて個々の事件について最終的な決定権者の立場にある検事総長に対して行うようにすることで、個々の事件の捜査・処分についても法務大臣の権限が及ぶこととされているのである。

法相指揮権が「封印」される契機になった造船疑獄

検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はない。しかし、少なくとも、一般の刑事事件に対しては、検察官の権限行使の独立性を確保することが、刑事事件について「法と証拠に基づいて適切に処理すること」だとされており、実際上、そこに法務大臣が介入する必要はないし、敢えて介入した場合には、政治的意図による不当な干渉という批判を招くことになる。

1954年の造船疑獄で、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を差し控えるよう犬養法務大臣が指揮権を発動したことで、当時の吉田茂首相の自由党政権に対する世論の批判が急激に高まり、首相退陣に追い込まれることとなった。

「政治的圧力によって、正義を実現しようとした検察捜査の行く手が阻まれた」とのマスコミや世の中の認識があり、それが、「検察の正義」は神聖不可侵のもので外部からの圧力・介入は断固排除すべきという、戦前の「統帥権干犯」のような考え方につながった。