9. メアリー・セレスト号: 誰もいなくなった船、残されたパイプと食事
最も有名な幽霊船事件の一つが、このメアリー・セレスト号の事件だろう。
1872年11月、メアリー・セレスト号は、ベンジャミン・ブリッグス船長の指揮の下、ニューヨークからイタリアに向けて出航した。船にはブリッグス船長の妻と娘を含む8人の乗組員が乗っていた。
しかし、1ヶ月も経たない12月4日、メアリー・セレスト号は、大西洋の真ん中で、無人の状態で漂流しているのが発見された。
発見したのは、デイ・グラティア号というイギリス船だった。デイ・グラティア号の乗組員がメアリー・セレスト号に近づくと、船体には損傷がなくほぼ無傷であることが分かった。しかも船内には6ヶ月分の食料と水が積まれていたのだ。
航海日誌は11月24日までの記録があり、その後は突然途絶えていた。航海日誌の内容は、その時点までは全く正常なものだった。
そして、さらに奇妙なことに、メアリー・セレスト号には救命ボートがなかった。
デイ・グラティア号の船員たちがさらに船内を調べると、メアリー・セレスト号の乗組員たちが、喫煙用のパイプを置きっぱなしにしていたことが分かった。このことから、乗組員たちは急いで船を離れたと推測された。
しかし、なぜ彼らが船を離れたのか、なぜ何もかも置きっぱなしにしたのかは、明らかではない。船を放棄するほどの嵐であれば、船体に大きな損傷を与えるはずだが、そのような形跡はなかった。船内のすべては、航海準備が整った状態で、そのまま残されていた。まるで、ブリッグス船長とその家族、そして乗組員全員が忽然と姿を消したかのようだった。
長年にわたり、反乱、殺人、乗組員の狂乱など、様々な説が提唱されてきたが、どれも確証を得ることはできなかった。そしておそらく、これからも真相が解明されることはないのかもしれない。