そんな思考実験的なアナザー歴史ドラマを、日本のまんがやアニメは挑んでくれないだろうか?

それこそが起きていたかもしれない世界線の上を、日本人が、動乱の中国を、そして東アジアを生きていく物語を、現代日本のポップカルチャーの力で創りだせないだろうか。アニメ「火垂るの墓」の監督も「日本によるアジア侵略」という、後付けの史観に終生縛られていたようだ。

この素朴といえばあまりに素朴な陰謀史観こそが、日本人学校に通う児童のあの悲劇の背景にあるのだとしたら… 共産党中国史が、今なお日本悪役史観によって物語化されてしまっている、その裏にあるものを、他ならぬこの日本の英知で、そろそろあぶり出していく時期ではないか。

奇しくも今、イスラエルとその周辺国とのあいだで、憎悪が憎悪を生み続ける戦闘状態が続いている。長くながく虐げられてきたユダヤ民族の建国史として物語化された諸々が、いやおうなしに問い直されている。

実は以前、世界最長寿アニメ番組「サザエさん」のスタジオ創業者にお目にかかる機会があって、広島の被爆者だとご本人からうかがって身震いしたことがある。「自分たちは平凡な日常がぜいたく品にならない、そういう世界をアニメでいつも目指してきた」と。

イシューブにせよ王道楽土にせよ、「約束の土地」はいつも二つの華夷思想がせめぎ合うところに生ずる。どちらが正義なのかは、結局はその時その時の世界情勢で決まる。

東シナ海で、そして中東で、にらみ合いが続く今を見つめながら、反日教育の餌食とされたと思しいあの日中混血の小学生の悲運にも思いをはせつつ、アニメとまんがで育ったひとりである私は、いろいろ考える。