原作は、同題の児童文学の三部作。著者は日本の外地だった頃の朝鮮で育ち、敗戦のとき17歳。自分の人格形成期が、そのまま大日本帝国の命運と重なってしまった、いわゆる「戦中派」作家である。

本論考を綴るにあたって、先日、私の地元図書館で全三巻に目を通してみた。そして苦笑してしまった。

かつて小学校の図書室に、ポプラ社の『怪盗ルパン』や『名探偵ホームズ』のシリーズが並んでいたのを懐かしく思い出す向きは多いはずだ。ああいう子ども向け翻案を手掛けていた著述家たちは、戦前昭和に「少年倶楽部」(少年ジャンプの戦前昭和版とでもいうべき月刊雑誌)で、軍事探偵をヒーローにした冒険小説で人気を博していた作家たちだ。

若き日の黒澤明が惚れ込んで、自分の監督第一作として映画化を熱望していたという「敵中横断三百里」(作・山中峯太郎)も、そうした戦前昭和の児童向け、軍人冒険譚のひとつだった。

「火垂るの墓」の監督が、次回作の企画として興味を寄せていたという『国境』(昭和61年~平成元年)の物語もそうだ。異民族の美少女との恋物語を折り込んだり、主人公がアジアの民の真の独立のために苦闘し旅していく様をドラマの主軸にしたりと、戦前昭和の軍人ヒーロー冒険譚を、戦後昭和の日本加害者史観にそってカスタマイズし、むしろ温存させてしまったもの…といわざるをえなかったのである。

「なんだ、戦前昭和の少年講談そのままじゃないか」と。

ロシア帝国と満州

今では中国東北部と総称される土地・満州。そこは、もともとは清王朝の出生の地だった。それがやがて地下資源豊富な土地として内外から着目されだした。

19世紀末、同地の隣接国ロシアが、この地に軍を駐留させ、さらには鉄道建設を推し進めた。清王朝はそれを黙認した。同王朝は日清戦争(1894-1895年)でロシアに借りができたことから、同国と密約を結んでいた。そして満州での露軍駐留や鉄道敷設にくわえ、鉄道建設に必要な土地の管理権を、ロシアに委ねていた。

G・ビゴーが描いた日露戦争の風刺画