しかし、もし、仮に日本で原爆が完成したとしたら、それをどうやってアメリカ本土まで運んだか。現在では大陸間弾道ミサイル(ICBM)で打ち込むことが可能ですが、当時日本は制空権を失い、B29のような長距離爆撃機もなかったので、潜水艦に載せて米本土近くまで運び、そこから発射するか、艦載機に搭載して攻撃する方法しかありませんでした。

事実、中島飛行機(富士重工の前身)の創業者・中島知久平は大型の潜水艦から原子爆弾を積んで飛び立てる飛行機を設計していたと伝えられますが、終戦で実現しませんでした。

このようなことは、今の若い日本人は学校で教えないので全く知らないでしょうが、歴史的な事実として頭の隅に入れておいてほしいと思います。

北朝鮮の臭い風船爆弾?

戦後間もなく80年。いまや戦争のやり方も、使用される武器もすっかり様変わりしましたが、現在進行中のウクライナ戦争やガザ紛争を見るにつけ、狂気に陥った独裁者がやることは昔も今も常軌を逸しており、何をしでかすか分かりません。

そうであれば、私たちも平和を維持するためにこそ、戦争の実態をもっと具体的に知る努力をすべきであり、そして、戦争を抑止するために相応の自衛力を持つべきではないかと思います。登戸からの帰り道につくづくそう感じました。

最後に蛇足ながら、最近北朝鮮は韓国側からの、脱北者による宣伝放送に対抗して、風船による攻撃を繰り返しているようですが、爆弾の代わりに人糞などの汚物を搭載しているとか。これは殺傷力はないものの、

甚だ臭い話で、呆れるほかありません。

(2024年10月7日付東愛知新聞 令和つれづれ草より転載)