学問の自由、言論の自由、出版の自由、信教の自由は最大限尊重されなければならないが、これらは公共の福祉に反するものまで守られる聖域ではない。辻内琢也氏、鴨下全生氏、早稲田大学、カトリック、三和書籍は、それぞれの自由によって成した言動や、言動を生む環境を提供した責任を負わなくてはならない。

原発事故後に双葉郡からいわき市へ移住した40代の男性は、昨今話題になっている鴨下全生氏と辻内琢也氏が持ち出すナラティブとスティグマに「とても嫌な気持ちで、精神がもたない。つらいです」と語った。

さらに彼は、「どこに文句を言ったらよいのですか。学会ですか、(カトリックの)教会ですか。私が何か言っても、相手にされないじゃないですか。あの人たちは、いつも言いっぱなしです。謝罪はとうぜんですが、償ってくれなかったら、私たちはやられっぱなしです」と嘆いた。

この一言に筆者は背中を押され、当記事を書くに至った。

鴨下氏は自らの発言で生じた影響を償う気がまったくないようだが、辻内琢也氏、早稲田大学、カトリック、三和書籍は何一つ償いもせず当事者の声を黙殺するのだろうか。

謝って済む状態ではないのだ。

編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2024年10月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。