また旧赤プリでは世帯ごと個室(客室)が与えられていたため、むしろ孤独だったと語る人がいるほどなのに、鴨下氏曰く「1割」くらいの人が鼻血を流したとどうして言えるのか説明がない。

このほか鴨下全生氏の原発事故被害と被曝についての証言は、エビデンスに欠けるだけでなく、意図的に背景情報を秘匿したものが多いにもかかわらず、レジ袋と鼻血の逸話は辻内ゼミのブログにも掲載されている。これは辻内ゼミ公認の証言とされたのを意味する。辻内ゼミと早稲田大学の関係は前述した通りであり、責任の所在もまた明らかだ。

美和氏も各所でレジ袋と鼻血の逸話を語ったほか、伊方原発運転差止等請求裁判に向けて陳述書を書き、

「避難所や避難住宅では、うちの子に限らず、鼻血を出す子が多くいました。それも、見たことのない程、酷い鼻血です。吹くような、吐くような勢いで、鼻血が両鼻から出たり、それが喉をまわって口からも出る。綿やティッシュ では追い付かず、洗面器やレジ袋で、流れ出る血を受ける子どもたち。それが30分経っても治まらない。」

とした。

こうした原発事故の影響を語る母親譲りの逸話と、鴨下全生氏が転校先の小学校で避難者としていじめられたとする逸話が、同氏の主張の根幹にある。これらのほとんどが、被害当事者が語るのだから真実であるとし、未検証なまま原発事故由来の被害とされ、フクシマ型PTSDという概念へも結びついていくことになった。

2. 選別と利用

鴨下全生氏が、カトリック中央協議会内の「カトリック正義と平和協議会」の働きかけで、教皇へ謁見した際に被災者代表として「死にたいくらいつらかった」と語った訴えの基調も前述のものと同様だった。

謁見時の様子と鴨下全生氏が発したメッセージの概要はカトリック中央協議会のWEBページに掲載され、同氏はX/Twitterのアカウント・ヘッダー画像に謁見時の写真やイラストを掲示している。

カトリック中央協議会が自主避難者の中から鴨下全生氏または鴨下家を選別したことになるが、これは福島県の人々の中から彼と一家が選別されたのも意味する。カトリック中央協議会が鴨下全生氏と一家を選別したことによって、彼らは特権的な語り手となり、他の人々の発言を排除したのは彼のX/Twitterでの振る舞いや、美和氏の講演などからも明らかだ。またカトリック中央協議会は特権的な語り手を抱え込むことになった。こうして福島県で暮らす人々との間に分断が生み出された。