辻内琢也氏は自身の論文や発言で、自主避難者を特権的な位置付けにし、自主避難者が批判されているとして、自主避難者と自主避難者以外を分断した。当然のように同氏のゼミ生である鴨下全生氏の証言を取り上げているあたりは、彼とカトリック中央協議会の関係と同類であろう。

3. 密室での操作から分断とスティグマ化へ

鴨下家は報道、活動家メディア、デモ等の現場、講演会、SNS、裁判の陳述書で特権的な語り手として自身のナラティブを語った。

カトリック中央協議会は自身のメディアだけでなく教皇と教皇を取り扱ったマスメディアの報道で、鴨下家のナラティブに自らの政治的主張を混ぜ合わせて拡散させた。

辻内琢也氏は研究成果として、鴨下家に限らぬ選別された特権的な語り手のナラティブを論文および出版物として拡散させた。

鴨下家が自主避難者の典型または代表として選抜されたのは、客観的な査定の結果でも、幅広く社会の合意が得られたうえでのことでもない。鴨下家が自ら名乗りをあげ、カトリック正義と平和協議会が選び出し、辻内ゼミでそのように扱われているだけだ。密室で決定され、ナラティブが採用されたとも言える。

そもそも鴨下家は福島第一原発で水素爆発が発生する前に関東へ出立し、小金井市には広大な実家の土地と家屋、このほかマンションも所有していた、自主避難者の典型や代表とは言い難い人々だ。また原発事故後の福島県と福島の生活を語れる当事者かといえば、10余年にわたりいわき市を離れているのだから当事者を名乗る資格はない。

だがさまざまな機会に、鴨下家の「自主避難者」としてのナラティブが利用されたのは前述の通りだ。そして、ここから汚染されたままの土地、人が暮らすのに適さない土地、農業や酪農や漁業から得られる産物は忌避すべきであるかのような、福島県蔑視のスティグマが生成され、念押しされ、固定されようとしている。

聖域の主として君臨させてはならない

震災と原発事故の対応に追われた日々は、これらが未曾有のできごとだった故に、当事者はスティグマの押し付けやさまざまな風評加害行為があっても異議申し立てができなかった。だが、今は違う。