ほんの一ヵ所に書く自分用のちょっとした線描なので、買わなくても身近にある素材であり、濡らしても消えず日光にも強く堅牢に染め付けることのできる染料として、貝紫は海女さんたちに重宝されていたのです。

これは日本染色の歴史トリビアと言ってもいいでしょう。

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五芒星のセーマンと九字のドーマン/Credit:wikimedia

明治維新で朝廷がなくなり、紫色が禁色ではなくなってから130余年。使って咎められることがなくなり、また色素の化学組成が判明した現代では、紫色は庶民も気軽にファッションで使えるようになりました。

それでもなお、長年のその位の高さから、今でもその高貴なイメージは人々の中に残っているようです。

高級な贈答用商品には桐箱の内側に紫色の布が貼られていたり、結び紐や瓶の装飾などに紫色の組み紐が使われていたりするのを見ることもあるでしょう。

衣装だけでなく古典文学で「紫」のつく人名にも高貴な香りを感じ取ることのできる日本人。色彩は人の感性に共通認識を与えるものでもあることを、紫色は古代から現代に伝えてくれているようです。

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参考文献

吉岡常雄の仕事 天平の赤・帝王の紫 幻の色を求めて
https://amzn.to/47VoO3C

元論文

古代紫(チリアンパープル)の合成と染色
https://doi.org/10.11417/silk.15.104

ライター

百田昌代: 女子美術大学芸術学部絵画科卒。日本画を専攻、伝統素材と現代素材の比較とミクストメディアの実践を行う。芸術以外の興味は科学的視点に基づいた食材・食品の考察、生物、地質、宇宙。日本食肉科学会、日本フードアナリスト協会、スパイスコーディネーター協会会員。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。