1個の貝から取れる鰓下線はごくわずかです。

そのため、衣服にする布を濃い紫色に染めるためにはたくさんの貝と多くの人力を必要としました。1gの染料を得るために必要とされた貝は2,000個に及んだと言われます。

貝紫で染めた紫は支配者でなければ手に入れることのできない色だったのです。さらに黄色っぽい鰓下線の液を紫色に発色させるには光線の加減も必要とするものでした。

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アクキガイ科の貝は種類によっても色味の違う紫色に染まる/Credit:wikimedia

貝紫の色素はインジゴに臭素置換した 6,6’-ジブロモインジゴである事がわかっています。

そのため、現在では化学合成で貝紫と同じ紫色を染めることができるようになりました。インジゴとは藍染に使う染料の色素で、貝紫と近しいことがわかったのはとても興味深いことです。

しかし、化学合成した6,6’-ジブロモインジゴであっても紫色を思うような色味に発色させることが難しいのは、紫外線と可視光線のスペクトルによっては紫色ではなく、インジゴのような青、もしくは青みを帯びた紫色となってしまうからです。

光線は注意深く調整する必要が実験でもわかっており、古代でもそれは同様だったはずです。

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上、6,6’-ジブロモインジゴの化学式。下はインジゴの化学式。ティリアン・パープル(6,6’-ジブロモインジゴ)とよく似ていることがわかる/Credit:wikimedia

貝紫に使う貝の鰓下線は貝の内臓なので磯臭いものですが、それがどんどん悪臭に変化していきます。

それを大量に準備しなければならないうえ、光にも注意を払う必要がありました。染色作業は不快さも伴う非常に大変なものだったことが想像できます。

貝を採る漁師、鰓下線から染料を作り染色する職人など、紫一色を染めるために動員された人数は支配者のためでなければ準備できなかったことでしょう。

またその染色技術は門外不出で、買い手には支配者であっても知らされませんでした。技術を秘匿し貴重なものにすることで貝紫はさらに高価なものとなったのです。

日本では紫色の染色に植物が使用された