記載では動物性繊維の絹を一疋(着物を一着織る一反の倍の長さ)、濃い紫に染めるために使う紫根は30斤とされています。1斤=600gなので、30斤=18kgという分量になります。

これが麻のような植物性繊維になると、濃い紫に染めるために必要な紫根は50斤=30kgという大量なものでした。

このように紫根で染める紫色も、濃い紫色に染めるためには多くの原料、そして面倒な手間と時間を必要とする、経費のかかるものだったことがわかります。

その後も位階を衣装の色で表すことは続き、朝廷では位階以上の色を「禁色」として使ってはならないことが明治時代になるまで続きました。

紫色ではありませんが、明治維新以降、袞衣(こんえ:天皇の礼服)が廃止された後の現代でも「黄櫨染(こうろぜん)」という黄色がかった茶色は重要な儀式の際に天皇だけが身に着けることのできる色となっています。

法律で禁止されているわけではありませんが、令和の時代でも当然のように禁色が守られています。

化学的に合成された染料が開発されるまで、洋の東西や染色の原料を問わず、濃い紫色を美しく染め上げるということは、大量の原料と注意深く管理された化学反応を伴う行程を踏む技術を要するとても面倒で手のかかることでした。

布を紫色に染め上げるのは経費的にも人的にもコストのかかることだったのがわかります。そのため、紫色の布を手にすることができるのは政治的に権力を持った支配者高い官位を持つ貴族という特権階級の人だけだったのです。

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紫草の花。染色には根を用いる/Credit:wikimedia

そんな中、日本では支配者層ではない人達が貝紫を使用していたレアなケースがあります。伊勢の海女さんです。

布を均一に染めるのではなく線描でしたが、伊勢の海女さんたちは数十年ほど前まで、事故防止のまじないとして貝紫でセーマンドーマンを描いて身に着けていました。

セーマンとは五芒星、ドーマンとは九字を現した格子模様。語源は有名な陰陽師、安倍晴明と蘆屋道満とも言われ、貝の鰓下線を使い、松葉で書いたと伝わっています。