第一に、「味噌漬け実験報告書」は、本件の証拠である「5点の衣類」自体について、変色の経過等を直接明らかにしたものではない。味噌樽の中に1年以上漬けられた場合の変色の程度について、類似した条件下での変色の経過を実験することによって「類推」したものであり、それによって、本件の証拠の5点の衣類の変色経過を証明できるか否かは、科学的な知見による「評価」が必要となる。結局のところ、それは、変色の速度についての可能性の程度の「判断」に過ぎない。
第二に、仮に、「赤みが残る可能性」が完全に否定されるとすると、必然的に、袴田氏とは別の人物が味噌樽の底に「大量の血痕が付着した5点の衣類を隠匿した」ことになり、それを行ったのは捜査機関である可能性が高いことになる。
この「血痕の付着した5点の衣類を味噌樽の底に沈める」という証拠ねつ造は、その実行のためには、警察が、袴田氏が事件前に着用していた衣類を把握し、それに見合う衣類を調達し、一方で大量の血液を入手して衣類に付着させて「血痕が付着した5点の衣類」を準備し、味噌樽の底に何かを沈めるという行為であり、味噌製造会社側の協力を得て、実際に味噌工場に立ち入って実行することが必要になり、多数の警察官が、「証拠ねつ造」と認識しつつ、その実行に関与したことになる。
捜査機関がそのような証拠ねつ造行為を組織的に行うことが可能であったのか、現実に行い得るものだったのかが問題になるが、もし、その捜査機関によるねつ造の可能性が完全に否定されるか、或いは、可能性が極めて低い、ということになると、逆に、「味噌漬け実験報告書」による「1年以上味噌漬けされた血痕に赤みが残る可能性の否定」に疑問が生じることになる。
第三に、味噌漬け実験報告書によって、仮に、5点の衣類が犯行着衣である可能性が否定され、捜査機関による証拠ねつ造があったとされた場合でも、それは、袴田氏の犯人性についての「積極証拠」が否定され、「合理的な疑いを容れない程度」の証明ではないと判断されて「認定無罪」の判断に至るということであり、それだけで「完全無罪」となるものではない。捜査機関が、袴田氏の犯人性について、証拠による立証は困難だが、「確信」を持っていて、そうであるがゆえに「証拠ねつ造」を敢えて行った、ということも考えられないわけではない。その場合、そのような捜査機関の行為は到底許容されるものではないが、袴田氏の犯人性の判断とは別の問題である。