検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はないから、どのような瑣末な事件でも、法務大臣が関心を持てば、検事総長を通じて捜査・処分に介入することは可能である。しかし、一般的な犯罪に対しては、証拠を収集・評価して事実を認定し、情状に応じた処罰を求めるだけで足り、ほとんどの刑事事件の捜査・処分については、法務大臣が介入する必要はないし、介入することは、政治的意図による不当な干渉だと批判されることになる。
しかし、例外的に、検察組織内部の決定だけに委ねておくことが適切ではない場合に、法務大臣が指揮権の行使について検討し、判断することが必要とされることもある。それは刑事事件の捜査・処分について、検察として判断を行うことが適切ではない場合である。
その典型例の一つが、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣と協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。
2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件で、船長の釈放という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認め、検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行った。
このような法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例においても、検察官の訴追裁量権の枠内で判断することを是とするような検察内部の考え方があり、そして、それを支持する世の中の論調がある。
しかし、今回の袴田事件の再審判決への対応は、事件から58年の間の刑事裁判、再審請求審の経過、袴田氏が34年にわたって確定死刑囚として、死刑を執行される以上の精神的苦痛を受け、その精神を病むところまで追い込まれていること、そして、確定審の認定に重大な疑問が生じ、再審開始が決定され、実際に再審公判が行われたものの、刑事裁判によって、この事件が解決されるどころか、判決の内容を見る限り、再審判決で確定させることは、刑事司法の枠内で考える限り困難であることなどから考えると、「刑事司法の枠を超えた法務大臣の責任による判断」として、控訴を行わないように、或いは取り下げるように検事総長を指揮することで、本件の最終決着を図るべき事案である。