再審判決に対して検察官が控訴せず確定した場合、刑事裁判で事実認定が行われた「3つのねつ造」について、捜査機関側に対して国家賠償請求が提起されることは避けられないし、捜査機関による組織的なねつ造について検証と事実解明が求められることも考えられる。また、「公判での主張が『検察の理念』に反する」との裁判所の指摘を受け入れたということになれば、今後の検察の公判立証への影響も大きなものとなる。
一方で、弁護人にとってみれば、これまで40年以上にわたって、再審で袴田氏の冤罪を晴らし、無実を明らかにする戦いを続けてきた活動を思えば、捜査機関のねつ造を認める一方で袴田氏の犯人性を否定する弁護人の主張は採用せず「疑わしきは被告人の利益に」との原則によって無罪とした今回の判決の理由には承服しがたい点も多いのではないかと思える。
弁護人は、無罪判決に対する控訴はできないが、もし、検察官が控訴を申立てた場合には、控訴答弁書においてどのような主張を行うべきか、困難な判断を迫られることになる。
筆者も、美濃加茂市長事件で一審無罪判決に対して、検察官が控訴を申立て、一審での検察官の主張とは異なる主張を行って一審無罪判決を批判してきた際、弁護人として、「一審無罪判決の擁護」と「控訴審での検察官主張への反論」のどちらを優先するのか苦悩した経験がある。
袴田弁護団としても、もし、検察官控訴で控訴審に対応することになった場合、一審無罪判決に対してどのような姿勢で臨むのか困難な状況に直面することになるかもしれない。
このように、検察の立場からは受け入れ難く、弁護人の立場からも、無罪の結論はともかく、理由は受け入れがたい再審判決だが、それでは、再審裁判所として、どのような審理を行い、どのような判断が行えたのか。
50年以上前の一家4人惨殺事件という、刑事事件として最も重大な死刑求刑事件の刑事裁判を、改めて刑訴法の規定に基づいて行うこと、それによって、証拠に基づく事実認定を行うこと自体が、極めて困難である。そもそも、犯人像についての疑問など、事件から58年経った現在において、証拠に基づく判断で解消されることなど考えられない。だからこそ、再審判決は「手続的正義」を全面に掲げて捜査機関を論難する方向に走らざるを得なかったと考えることができる。