そのような「被告人が有罪であるとの捜査機関側の確信」についての再審裁判所の認識は、犯人像についての弁護人の主張を悉く否定し、「被告人が犯人であることと整合する」との表現を多用していることにも表れているように思える。

そのような再審判決の認定は、弁護団が「完全無罪」をめざし一貫して主張してきた「犯人像についての主張」「初動捜査における証拠ねつ造の主張」などに対して十分な反論になっているのだろうか。特に「複数犯」「外部犯行」「怨恨」による犯行だとする弁護人の犯人像についての主張は、相応に説得力があるように思えるが、再審判決の判示が、そのような弁護団の根本的な疑問を解消するに十分なものであるようには思えない。

再審判決は、袴田氏は犯人ではなく、真犯人は別にいると一貫して「完全無罪」を主張してきた弁護人にとっても、容易に受け入れることができるものではないように思える。

再審判決に対して「検察の控訴断念」はあり得るのか

今回の再審判決の認定は、これまで弁護人が一貫して訴えてきた、「袴田氏は無実であり真犯人は別にいる」とする「実体的不正義」の主張のほとんどを排斥し、袴田氏を含む犯人像の想定は否定しない一方で、捜査機関側の「手続的不正義」を徹底して糾弾し、犯人性についての証拠の大半を排除し、それによって証拠が不十分であることを理由に、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫いて袴田氏無罪を結論づけたものである。

「手続的不正義」についての捜査機関に対する糾弾には、人権を無視した拷問的取調べなど、捜査機関側にとって弁解の余地のないものもある一方で、刑事判決の事実認定として疑問な点も少なくない。

とりわけ、「5点の衣類」のねつ造の事実認定、確定審の一審を担当した吉村検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定は、検察としては許容し難いものであろう。

また、検察官調書が「実質的に捏造されたもの」との評価や再審公判での検察官の検察官調書の信用性に関する主張が「検察の理念」に反するとの批判も、検察にとっては相当異論があるところであろう。