(日本は)同時に戦争犯罪も犯したに相違ない。戦争犯罪は戦勝国も犯す。捕虜迫害、民間人虐殺、戦略空軍による住宅地爆撃、民間客船や病院船の撃沈などがいわゆる戦争犯罪に当たるが、ナチスの行為は殺人それ自体が目的で、戦争行為とはいえないから、その犯罪もまた戦争犯罪とはいえないのである。

このことが、ナチスのホロコーストに象徴される「人道に対する罪」が多くの被告人に適用されたニュルンベルグ裁判の内装までも模した東京裁判で、それが誰一人の被告に対しても適用されなかった所以だ。犯した罪の内容が違えば償いの仕方も違って当然だ。

まして日本と韓国は戦争していない。そして日韓は1965年に14年に及ぶマラソン交渉を経て、政治的妥協の末にやっと国交を正常化した。そのために日本は経済協力金として有償無償の官民合わせて10億ドル近い資金提供を行い、両国と両国民の請求権は完全かつ最終的に解決された。もう済んだ話なのだ。

なお、31日の石破氏の「日独『戦後』の違い、インド・バラナシ訪問など」にある「独立回復後、回復した日本国の主権に基づいて戦争を総括する選択肢はあったと考えますし、これは憲法改正についても同じ構図と思われます」には同感。石破先生には是非そのように活動して頂きたい。

高橋 克己 在野の近現代史研究家 メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。